京都、哲学する猫

2013年12月2日写真・カメラ,日記・雑記お出かけ

11月の末に、母と叔母とで京都へ行ってきました。
私は仕事の関係で一泊しかしていませんけども。

正直なめてましたね。紅葉シーズン最高潮の、週末の京都を。

京都って、レンタカーやタクシーでがーっとまわる人もいるだろうけれど、基本的にバスで市内移動なんですよね。名所名所はだいたいバスが結んでいるから。

それがもう、すごい。
駅前は大行列で、来たバスに限界まで詰め込まれて通勤ラッシュと変わりない状態。途中途中でも無理くり乗ってくるからバッテラ寿司になりそう。でも京都の市バスはICカードに対応していない後払いの前降りで、運悪く後部に押し込められた場合、目的地がマイナーな停留所のときは「おろしてー!おりまーす!」と人の波をかき分けて降りるはめになる。

観光に来てるのに、リフレッシュに来てるのになんで…

観光地は観光地でそりゃまあ人が多い。多いっていうレベルじゃない。写真にしたって、まず人が完全にはけた引きの絵は撮れない。

都合上休日にしか来られなかったんですけど、もう、二度と、週末の、シーズンの京都になんか、おら、行かねえだ…京都こわいとこだ…

京都へそういうシーズンに行く人って関東の人が多いのかと思っていましたが、割合的にいえば西日本の方のほうが多いんでしょうか。バスで聞こえてくる会話も関西弁がほとんどでした。やっぱり関西っていいなあと思ったのは、

観光客男性「(ピンポーン)」
運転手さん「はい次、止まります」
観光客男性「…あれ、間違えたその次だ」
観光客女性「やだお父さん、間違えたって言わないと」
観光客男性「あ、ええとまちがいです…」
観光客女性「まちがえました…(消え入るように)」

おばちゃん「ちょっとー!間違いやってー!」
おばちゃん2「あら運転手さん間違い!間違いやってー」
おばちゃん3「間違いやってー」
運転手さん「はい、通過します」

おお…見事な連携プレイ…!
なんだろうね、関東の人って公共の場で声出すの恥ずかしがる人少なくない気がする。

しまった、いつまで経っても本題に入れない。

ではいきなり入ります。京都のモミジの紅葉って、話には聞いていたけど本当に赤いんです。ただ全体的には今年は赤くない方だったんですって。天候の関係でしょうかね。

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有名な「哲学の道」を散策していると…

哲学の道で哲学する猫 その1

木と同化していて最初気づかなかったのですが、哲学的な猫がいました。

哲学の道で哲学する猫 その2

吾がニャイは猫である。いや猫ニャのであろうか。猫とはニャんニャのであろうか。猫という定義は人間が手前どもの便宜のために勝手に分類しただけであり、吾がニャイ自身を定義するものでも、また吾がニャイがここにこうして存在することの証明足り得ニャいのである。…そもそも人間は吾がニャイや同類をして「ニャー」などという語尾をあてているようだが、笑止である。まず吾がニャイは「ニャー」などとのたまっているつもりはニャい。
ああ、腹が減った。

別のところには猫が三匹落ちていました。

哲学の道で哲学する猫 その3

柄の似ている手前猫と左猫が兄弟でしょうかね。

哲学の道で哲学する猫 その4

こちらに耳をそばだてながら、じっと目を閉じる眠り猫。

向かって右側に回りこんでみる。

哲学の道で哲学する猫 その5
哲学の道で哲学する猫 その6

吾がニャイも猫である。どちらかというと小さい方の猫である。こうして陽の光を感じながら座っていると、昨日近所のおばさんがくれたカリカリを隣の白いのが脇から全部食べちゃったこともどうでもよくなってくるような気がする吾がニャイも猫である。カリカリは正義である。でも隣のやつは全部食べちゃったのでカリカリがニャいのである。近所のおばさんは好きだ。軒先にはダンボールがたくさんあってよいところニャ。昨日近所のおばさんがくれたカリカリを隣の…いやこれはさっき考えた。何を考えていたんだろう。
ああ、腹が減った。